鎌倉fonteの日常

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誰もが楽しめる海を№2

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鎌倉の夏、
誰もが海を楽しめるバリアフリーの日があります。
この活動を主催しているさかい内科胃腸科クリニック委員長酒井太郎先生が
医師会の会報誌に寄稿した本を当店でいただきました。
でも、ご来店いただいた方にしか読んでいただけないのはと思っていたところ、
酒井先生より原稿をお借りしましたので、アップしたいと思います。
バリアフリービーチが普通になる日が来ますように願いを込めて。

「まぜこぜ」社会の大切さ、鎌倉バリアフリービーチ in 材木座を開催して「車いす生活になったとたん大好きな海水浴にも行けなくなってしまった。」 日々、診療をしていると気づかされることがたくさんある。夏の話をしている会話の中で聞いた言葉にはっとさせられた。車いすだと砂浜の海岸に行かれない、言われるまで考えたこともなかった。
 夏は海水浴を楽しむ、そんな当たり前のことを誰にでも楽しんでもらおう。介護や福祉関係の仕事をしている仲間に声をかけ、鎌倉市役所の観光商工課、障害者福祉課、海水浴場組合にもご協力いただき、100人以上のボランティアが集まって、一昨年の夏から1日だけだが「鎌倉バリアフリービーチ in 材木座」を開催している。 材木座海岸前の道路から波打ち際、多機能トイレなどの周りにベニヤ板を敷いて車いすのまま海岸を移動できるようにし、また遊泳後に休憩ができるよう海の家にも協力してもらい僕たちで店内にスロープなどを作り全てバリアフリーにした。 参加者は事前申し込み20名の募集に、一昨年の1回目は23人の応募だったものが、昨年は県外からも含め倍の46人の応募があった。年齢も4歳から83歳までと幅広く、実行委員長としては迷ったが、ここで断ってしまうと断られた人は1年間海水浴ができなくなってしまうと思い、安全管理、駐車場の問題もあったが、ボランティアの数を増やし、県の駐車場を借りる手はずを整え全員に参加してもらった。 
当日は、始まってしまえば海水浴が楽しいのは、子供や高齢者、障害者も健常者も関係ない、「きゃー、初めての海だ」名前に海がつく中学1年の明海さんが叫んでいた。「この年で海に来られると思っていなかった。」82歳のおじいさんの笑顔は最高だった。このおじいさんは秋に亡くなり、家族から帰ってきた後もずっと海の話ばかりしていたと御礼の言葉をいただいた。 僕たちが気をつけているのは、このバリアフリービーチは、障害者でもできることはしてもらう、僕たちは環境を作るだけということである。
参加費をとってもいいのでは、と言う人もいるが海水浴は元々無料で楽しめるものなので参加費も取っていない。ボランティアがたくさんいるので必要があれば手伝いますよ、必要な人は駐車場もあるし休憩も海の家でできますよ、ただしお金は自分で払ってください。僕たちが海水浴に行く時と一緒である。 そして、バリアフリービーチエリアも障害者の占有にしてはいない、今日は障害者も利用していますという告知としてバリアフリーエリアという登りを設置しているが、一般の人もどうぞご利用くださいとなっているので、障害者の車いすの周りには一般の海水浴客がシートを広げている。

本当の社会というのは、色々な人がいて「まぜこぜ」なのだが、今の日本は、障害者は障害者と、健常者は健常者といることの方が圧倒的に多いのでお互いのことが分からない。ただ周りにいる人が少し手を貸すだけで社会は変わってくる。今はたくさんのボランティアが手伝っているが、将来は、当日来ている一般の海水浴客が少し手伝ってくれれば、そのうちボランティアなんていらなくなるかもしれない。面白いのは、ベニヤを敷くと一般の海水浴客も暑い砂浜を歩くより歩きやすいので、みんなベニヤの上を歩く、海の家に冷蔵庫を届ける宅急便屋さんからは、「今日はベニヤがあって本当に助かりました。」と感謝された。

そう、障害者に優しい社会はみんなに優しい社会なのだ。

昨年、熊本地震直後に被害の大きかった益城町に医療支援に行き、5年前の東日本大震災の時と避難所生活が変わっていないのに本当にショックを受けた。高齢者など社会的弱者と言われる人の視点が全く欠けていた。普段からもっともっとそういった人の視点で社会を考える、そんな必要性を感じた。熊本地震の話は、また機会があればどこかでしたいと思っている。 

話をバリアフリービーチに戻すと、楽しい1日は時間がたつのもあっという間だ、総勢200人以上、みんなが笑顔で夕方帰るときには、「また来年、この場所で」と手を振りながら別れる。そこには正に心のバリアフリーの世界が広がっている。そんな光景をみると、また来年もやらなきゃ、という思いが強くなり、大変だった準備のことも忘れてしまう。 バリアフリービーチ、日本ではほとんど初めての取り組みとのことで毎年NHKを始め多くのマスコミに取り上げられている。このような海水浴場が一つでも増え、障害を持つ人たちが、「明日はどこの海に行こうかな?」と海水浴場を選べる時代が来ることを願っている。

 今年も参加者の笑顔を想像しながら、すでに鎌倉バリアフリービーチの準備が始まっている。(一行空ける) 最後に、このバリアフリービーチの開催費用は、皆様からの協賛金でほぼ全額がまかなわれており、医師会の先生をはじめ大勢の方に協力していただいています。この場を借りて御礼と感謝を申し上げます。そしてご協力いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひお声をおかけいただければと思います。「まぜこぜ」の社会が当たり前になるまでこの活動を続けていきたいと思っています。よろしくお願い致します。冬の鎌倉にて。鎌倉バリアフリービーチ実行委員会委員長 

ここからは、
フォンテママの話です。
相模原の障害者施設の事件より、心は痛めつつ、自分のなかに、意見がないことに腹ただしく思いました。
あまりにも、想像ができなかったからです。
想像して思いも寄せられない。
ひどい事です。
人の気持ちを理解したり、想像したりできない。
今、若い人たちの起こしてしまう残虐な事件に、
想像力の欠如が挙げられていますが、
大人たちがみんなが欠如していると言えば言いすぎでしょうか。

子供時代、
私は北海道の田舎町で育ちました。
保育園から中学まで20人ずっと一緒。
兄弟みたいなもんです。
その中に一人、昔でいう(今は差別用語だと思います)ちえおくれの子がいました。
(以下s君)
でもずっと、一緒に大きくなりました。
その子が、中学の途中で、障害者学級に行くことが決まりました。
田舎です。
その学級に行くために、一日に何本もない町営バスに乗って隣町まで、一人で通学です。
案の定、s君は、初登校の日、バスに乗れなかった。
クラスのみんなが、心配しながら普段通り授業を受けていたとき、
校庭にバスに乗り遅れたs君が佇んで同級生の私たちの教室をじっと見ているのを誰かが見つけて、
それでも中断されない授業を受けながら涙が止まらりませんでした。
まだ、雪の残る寒い寒い日に佇んでいる彼の姿を今も忘れません。
一緒じゃダメだったのか?
今まで通り、みんなでs君なりの勉強を見てやるのではダメだったのか?
特別学級に行ってどれだけ効果があるかわからないけど、その後、どうなるのか?
と、子供心に思いました。

それ以降、高校に進学して、大学に行って、社会人になって、
私が障害を持つ方(そもそもこの言葉も嫌いだが)とともに過ごす機会は全くありません。

だから、情けないくらい、大人として何もない状態。
子供の時、涙した、悔しいとか、怒りとか感じた大人の差別社会に、溶け込んでいる。
そもそも、何ができるかって思うことが違うのかも。
だって、私たちは子供の時は兄弟のように一緒だったんだから・・・。

まぜこぜの社会。

一人一人の笑顔を、
皆が思いやれる社会が、
誰にとっても幸せなんじゃないかと、
思います。

鎌倉からバリアフリービーチ、
全国に広がりますように。





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by fonte22 | 2017-04-26 03:01 | イベント | Comments(0)