鎌倉fonteの日常

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自然栽培をあきらめない!!

フォンテ畑は自然栽培に挑戦して丸五年。
朝の収穫です。
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トマトが毎日たくさん取れます。
今年は、空梅雨で高温が続き、梅雨明けから雨ばかりの変な夏ですね。
慣行栽培の農家さんは7月の高温で夏野菜がどんどんできてしまい、
すでに夏野菜は終わり、どんどん畑を冬野菜の準備に整地し始めています。

自然栽培は、育つのがゆっくりです。
なので、今が一番沢山採れています。

多様な農業のあり方が、食糧難から人を救う・・・
真面目にそう思っています。

実り方を見ると、無肥料で、こんなにとれて自分でも不思議です。

バジルもほかのハーブもぐんぐん大きくなっています。

無農薬で起こる害虫や病気の問題をもう少し丁寧に対応したら
きちんと収穫できることも確認できました。

バジルがいい例です。
バジルは意外とひ弱です。
自然栽培では苗にしてある程度大きくしてから畑に入れてあげないとうまく育ちません。
その問題はクリアしてから植えたものの、バッタに無残に食べられて収穫できない日々。
一畝を保護して
       マルチ(ビニールシートで根元を覆う)→土から生まれてくるバッタを防ぐ。と、
       防虫ネットをかけて外からの害虫の侵入を防ぐ。
この方法で育てたバジルの大きくて力強いこと。

因みに、この対策をしなかったバジルたちも、一株に蜘蛛が一匹住んで徐々にバッタの勢力を抑えてきています。

自然はいつもバランスをとろうとします。
自然はいつもすごいエネルギーで今に適応して生きていきます。

8月の連日の雨のダメージも、
自然栽培、自然農のフォンテ畑ではあまりないようです。

自然栽培、自然農法の観点で始めた畑は、4年目から5年目、今度6年目。
やっと、オールシーズン収穫が可能になりました。

この一年は
冬の葉物はホウレン草、レタス、大根、ラディッシュ
春の豆、じゃがいも、イチゴ、アーティチョーク、ニンニク
夏のししとう、トマト、スイスチャード
ハーブは一年中。よく採れました。

作物は、畑のサイクル、病害虫予防の観点から決めています。

まだまだ試行錯誤の日々ですが、
ほぼ通年、フォンテ畑のものをメニューに載せられるようになったことの嬉しいこと。

子供の病気、店の繁忙期と畑に行けなかったり、
天候不順で病害虫が多くなる、生育が悪くなる・・・
色々ありますが、諦めずにちょっとずつ。

よく観察してより作物が心地よく成長できるように努力する。

ちいさい子供の母であり、
レストランと言うほぼ休日のない仕事だったり、
そんな自分が自然栽培でちゃんと収穫できる!となったら、
きっとこの素晴らしい農法が広がって、
多様性や自然のと関わり方をじっくり見つめる目が増えて、
少しでも平和な社会になったらいいな。

夢はおっきいな。
諦めない。














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# by fonte22 | 2017-08-22 15:01 | 自然栽培 | Comments(0)

3代目トマトがすごい!!


自分で種を採って3代目になるトマトがすごい勢いで大きくなりこんなに花が咲いています。
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1代目は、50円で買った植え時を過ぎた花屋の苗でしたが、
フォンテ畑(無肥料)で、一株から、バケツ一杯ほど一日にとれるほど実がなって
さらに、美味しかったので種を保存。
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2代目は、畑では全部枯れ、鉢に保護したこの人株だけが小さな花と実を残してくれました。
これが、F1種の壁かとびっくりしましたが、
実から種を採って今年の3代目。
一株でこんなに実り、まだまだ、ぐんぐん大きくなっています。
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進化はそれだけではありません。
完熟まで木に着けておいても実割れが一つもない!
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右が三代目トマト
左が減農薬農家の苗で育てたトマト

8月に入り雨ばかりなので、割れるのが普通です。

因みに、1代目も雨が続くと割れてしまっていました。

8月の雨の多さで、丈夫なミニトマトにも病気や害虫が発生していますが、
こちらも無関係の3代目。
泣けるほどすごい進化であります。

畑には、
A市販の種から育てる
B市販の苗から育てる
C自分で種取り3代目
3種植えていますが、Bが一番自然農に不向きなようです。
特に、一般的な栽培方法では沢山実ると大人気の
農家さんの苗が一番合わなかったことは意外でした。

トマトネタが続きますが、
観察観察!











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# by fonte22 | 2017-08-15 12:41 | 自然栽培 | Comments(0)

鎌倉フォンテのおうちご飯

ピザに使ったトマトソースの作り方です✨
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トマトは、ひなたに置いてギリギリまで完熟にします。
写真は、大6個
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鍋に、オリーブオイル大さじ1、ニンニク一かけを熱します。
辛いのが好きな人は、鷹の爪を少し。
ざく切りのトマトを入れたら、
塩小さじ1をいれ、バジルをいれ、強火。
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時々、木べらで混ぜて、
10分位でトマトの水分で写真のようになります。
ここからは、焦がさないように、混ぜながら5分位加熱。
トマトの皮が嫌な人は、ここで浮いてくるので簡単に取り除けます。
水っぽさがなくなって、美味しいところで、出来上がり❗

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茹でたペンネを入れて絡めただけで✨
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とても美味しいです。

家庭菜園でトマトが沢山採れたらぜひ🍅
ポイントは、トマトは、割れないうちに採り、
室内のひなたで追熟。
冷蔵庫に入れてはいけません❗

家庭菜園をやると分かりますが、
雨の多い日本では、大玉トマトは、赤くなるとすぐ割れてしまいます。
完熟で収穫するために、雨避けやハウスにして、いかに農家さんが努力しているかわかります。

でも、この方法で、少なくとも、スーパーのトマト缶より、
すごく美味しいトマトソースが出来ます✨

長期保存する時
清潔なビンに満タンに入れてきちっと蓋をします。
大きく深い鍋にビンを並べてビンが浮かないようにタオルを被せ、
ビンが沈む量の水を張り、鍋蓋をして火にかけ、沸騰したら弱火で15分。
火を止めて、冷めるまで、放置。

きちっと真空になれば、
常温で冬まで美味しいです。







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# by fonte22 | 2017-08-15 08:29 | 日記・エッセイ・コラム | Comments(0)

鎌倉フォンテのおうちご飯

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今日は、シェフは父親として子供たちとピザ作り
コック修行は、ナポリのあるカンパーニャ州。
クワトロパッシ
http://www.ristorantequattropassi.it/en/quattro-passi-restaurant/

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期待感いっぱいです😆🎵🎵
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4才長女、生地作りに奮闘
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次女一才9ヶ月ペタペタ
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真剣にやらないと美味しくならないよと、
父ちゃんに代わると、
リズミカルに生地がどんどんまとまって。
休ませ、又、伸ばして
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ママの作ったトマトソースを広げ
だんだんピザらしくなってくると、
子供たちも真剣。
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チーズを三種類のせ、
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畑のバジル、オリーブオイルをのせ、

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15分😋
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美味し~✨連発
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みんなでペロリ。
生地を寝かせて又作業しての時は、
パンって大変と飽き気味でした。
美味しいものを作るって時間がかかるんだよ。
と、言うと、
パン屋さんは、初めからいっぱいあるじゃん、
(近所のベルグフェルドさん大好きの娘)
と、言うので、
あのパンは、お店が始まる前に、朝早くから、
こうして時間をかけて焼いているよ
と、伝えると、
目を丸くしてびっくりしてました。

この日は、
店のイタリア式カツレツと、
じーじの有機栽培畑のトマトサラダ。

美味しいって他に何もいらない。
幸せな気持ちになりますね~✨






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# by fonte22 | 2017-08-15 07:49 | 日記・エッセイ・コラム | Comments(0)

平和を願う

母になって初めて
戦争って何?と4歳の長女に聞かれました。

今日、長崎に原爆が投下された日が間もなく終わろうとしています。

母になって私は、
世界で止むことのない戦争のニュースや貧困のニュース、
殺人事件のニュース、
子供に見せないようにしてきました。
そして自分も、出来れば見たくないと思うのでした。
本能的なものでしょうか?

でもそれじゃダメなんですよね。
長女の質問に、困難でも、自分なりの希望をもってこの問題に取り組みたいし、
平和を実現するためにできることを探る姿を娘に見せなければならないと思いました。

自分が携わっている、食の安全もすこぶる危機的状況ですが、
平和もまた、危機的状況に感じます。

長崎の原爆では、祖母のお姉さんが死んでいます。
戦後50周年の時、母と私と祖母で、祖母が願い続けていた長崎の原爆投下の日の慰霊式典に参列しました。
秋田の地元で結婚し、数か月で旦那さんの会社の転勤で長崎に転居し、
1ヶ月後の悲劇でした。

長崎の原爆投下以降、明確な情報もないまま心配している妹(私の祖母)と母親のところに、
風呂敷にくるんだドクロをもって婿さんが泣いて報告をしに来て、
二人で腰を抜かしたと言っていました。
婿殿の話では、
出社しようと家を出た瞬間に爆弾で社宅がぺちゃんこに。
外で奇跡的に助かった婿殿がぺちゃんこの社宅から妻を引きだした時にはもう命はなく、
見渡す限りの景色が変わり、ただ事ではないと感じながら、
社宅を解体して妻を送ろうと燃やすも、火力が足りなくて頭しか骨にできなかった。
と真っ黒なドクロを涙ながらにすみません!!と風呂敷から出してきたと言う話でした。

娘がそんな死を遂げたと知ったあと、続いて夫と息子の戦死の手紙が届き、
祖母と祖母の母は、一月以上会話のない生活を送ったと言います。

孫の私にとっては、
いつも明るくて、
太っていて、料理が上手で、
秋田に遊びに行くと、
3食、おやつ、手作りしてくれる祖母の姿しか見てきませんでした。

50年たって、長崎に行きたい、自分が生きている間に行きたいと言って参加した慰霊祭。
暑い暑い長崎の炎天下の下で、ずっとずっと黙祷を続ける姿と、
その後、タクシーでお姉さんが住んでいて亡くなった社宅後を昔の住所から探し出し、
その場に立ち尽くして泣く姿は、家族にとって50年たっても癒えない、傷をまざまざとみて、
高校生だった私は、初めて戦争をリアルに感じたのでした。

平和があってこそ、
です。

核兵器をなくす運動を続けてきた日本人女性のドキュメンタリー

明日世界が終わるとしても「核なき世界へ ことばを探す サーロー節子」
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2017-08-12&ch=11&eid=02812&f=4231
ちゃんと見たいと思っています。
二度と、核による悲劇がおきませんように。









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# by fonte22 | 2017-08-09 23:20 | 日記・エッセイ・コラム | Comments(0)