鎌倉fonteの日常

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路地フェスタ参加しています。

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はじめに、この度の九州での地震にあわれた方々に深くお見舞い申し上げます。

今、当店は地域のイベント、
鎌倉路地フェスタに参加しています。
期間中当店では
関野直子さんの写真展をしております。

又、イベントメンバーのさかい内科胃腸科クリニックのさかい先生が、急遽熊本大地震の医療活動の要請に答えおもむくので、
先生のクリニックでの催し物の一部を当店で行います!

29日(金)13:00~フォンテ店前で
紙芝居があります。
外なので、☀を祈るところです❗



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by fonte22 | 2016-04-26 15:45 | イベント | Comments(0)

段葛の桜、あの日を忘れない。

鎌倉のメインストリート、段葛が長い改修工事を終えて
昨日式典があり通れるようになりました。
新しく植えられた、細く若い桜が咲いて、新しく通りの中央に各所設置されたポールに、日の丸がはためいていました。

先月、市役所であった、東北応援の大きなイベント。
参加してつくずく感じた。
熱唱しているシンガーの歌詞は今も被災した人の心を歌って、
聞いている方は、もう、5年前。

そうかな。
本当に鎌倉の人たちの地震は終わったのかな。
忘れたいだけかな。
と自問して。
桜を見たら切なさが込み上げてきました。

五年前、段葛に面した老舗のイタリアンで働いていました。
その年、段葛の桜はものすごくきれいに満開でした。
でもその年だけは、土曜も日曜も、ほとんど人は歩いていませんでした。
3.11の地震による、福島第一原発の事故で放射能の雨が降るという噂が流れたからです。
観光シーズンは、いつも人でにぎわう段葛。
異様な光景でした。

新しい段葛の桜を見て、
自分があのとき見たこと聞いたことを、
書き記しておきたいと思いました。

2011.3.11 ランチタイムの終わりごろ地震は起きました。
地下だったので、鈍い気持ちの悪い揺れ方でしたが、
ただ事ではない揺れ方で、すぐに、お客様を外に誘導しました。
時間のせいで、厨房がオーダー中ではなく、お客様も、60席あるレストランに一組しかおらずホットしました。
まもなく、ビルのガス水道電気すべてが止まったことがわかりました。
皆でひとまず、外に出ると、すべての建物から出てきた人でいっぱいでした。
二階の美容室は、パーマやカラーリングの液体を塗ったばかりの方がそのまま避難していたので、出る分の水を分けてあげようと言うことになりました。
さらに上の階のテナントの人は皆でトイレに来ました。
しばらくどこも使えなくなるからです。
停電で情報がよくわかりませんでした。
どうやら東北の太平洋側でとんでもない大地震があったらしいということがわかり、
たまたま仙台の実家に規制していたスタッフの身を案じて寒いぼがたちました。
その人とどうにか連絡がつき、無事を確認して、もう今日は無理だから、暗くなる前に店を閉めて帰ろう、となり、厨房では冷蔵庫にせっせと氷を詰めて食材が痛まないよう動いていました。その後、店のキャンドルナイト用の蝋燭を分けてもらい笛田の自宅に帰りました。
帰りにいつもよるコンビニには、すでにものがほとんど売っていなくてビックリしました。
自宅では、コレクションしていたワイングラスがメチャクチャに割れて、冷蔵庫が動いていました。
やっとついたテレビでは、次々に信じられない映像が流れていました。寒い夜でした。
電車で通っていた人たちは皆歩いて帰りました。駅にできた帰宅困難者の数から、歩いたほうが帰れるとおもったようです。
横須賀の人は、米軍基地があるお陰で、横須賀市に入ると明るく、その後も一度も停電しなかったといっていました。
北鎌倉から横浜方面を歩いた人は、人がいっぱいで、パンやジュースを何時もの倍で売っている店もあって飲み物を買うにも苦労して帰った、途中でギュウギュウ詰めの代行バスに乗ってやっと帰ったといっていました。

その後、福島第一原発の事故があり、
余震も続いて、報道も地震一色。
鎌倉では、東京電力による計画停電が始まりました。
公平のために、毎日違う時間に停電しました。
勤めていたイタリアンも、毎日営業時間を左右されました。
その上、今日はやらないとかやるとか情報は乱れました。
かりに営業しても誰も来ませんでした。
繁盛したのは、パン屋さんで、停電でも食べられるからでしょうか、
恐ろしいほどパンを皆買って、パン屋さんは並ぶ人のここまでしか焼けてないとなると大騒ぎで怖いといっていました。
観光地鎌倉は、その後の自粛ムードもあり、毎日、人気がありませんでした。
たまに、常連さんがくると、計画停電中に母が倒れて、医療行為が遅れ大変なことになった等の話しがつずきました。
とにかく電気が止まる生活は、何もかもができないみたいに、生活を硬直させました。
ネット上での放射能の情報も、テレビの情報も混乱していました。

そうしているうちに、春は色々な花を咲かせ、何もなかったように、季節はめぐりました。
桜も満開の週末、予報は、晴れ時々雨。
雨が降ると放射能が濃縮されて落ちてくるという噂が流れました。
そして、店には、一組のカップルしか来ませんでした。
一日に120人位来るイタリアンは、毎日、ガラガラでした。
他のお店も同じくガラガラ。

オーナーは、社員のリストラや社員をアルバイトにしました。
きっと、こうして職を失った人、事業が傾いた人、いっぱいいたと思います。

あの地震はじわじわと、被災者を増やしました。
じわじわと被災者を増やした原因の多くは、
原発の事故。

未だに放射能を放出しています。

私も主人もあの地震をきっかけに独立して店を始めることに決めました。

だから、あの時のこと、忘れない。

さっぱりとした段葛に日の丸がいっぱいはためいて、
あの日を知らない桜が咲いても、

あの日を忘れない。



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by fonte22 | 2016-04-01 15:55 | ブログ | Comments(0)